院長のコラム
12月10日は何の日かご存じですか
12月10日はスウェーデン人、アルフレッド・ノーベルの命日です。
彼は遺言で、ダイナマイトの発明により得た、多額の遺産から得られる利潤 (利子)を、毎年、その前年に人類のために最大の貢献をした人たちに、賞の形で分配されるよう言い残しました。これが世界的に有名なノーベル賞で、1901年から現在まで100年以上続いています。
そして毎年彼の命日の日に、その授賞式がスウェーデンの首都ストックホルム(平和賞のみノルウェーの首都オスロ)で開催されます。
物理学賞、化賞学,文学賞、医学または生理学賞、平和賞、経済学賞が、それら六種類の分野で顕著な功績を残した人物に贈られます。
私は1995年(平成7年)、大学で教員をしていた当時、教室の教授より留学の機会を頂き、1年間スウェーデンのウプサラ大学耳鼻咽喉科・頭頸部外科学教室に客員研究者として研究留学しておりました。ある日1通の封書が届きました。差出人はあのノーベル委員会からで、中をあけてみるとノーベル賞授賞式の招待状でした。ウプサラ大学には関係者のための7つの席が用意されており、その1つをわざわざ頂くことが出来たのです。
12月10日私は大雪の中、授賞式の会場であるストックホルムにあるコンサートホールまで行って参りました。授賞式はスウェーデン語で行われます。
その年の頂点を極めた研究者たちが勢揃いしています。私には2階のボックス席が用意されており、ほぼ直下に彼らを見ることが出来ました。授賞式が終わると、場所はコンサートホールから比較的近くにある市庁舎に移され、そこで晩餐会が開かれます。晩餐会に招待されるのは、受賞者とその家族、関係者、国王、皇后およびローヤルファミリー、カロリンスカ大学の学生です。受賞者はその後スウェーデンを代表する3つの大学で講演を行います。私はウプサラ大学にて医学賞を受賞された3人の講演を間近で聴くことが出来ました。1995年の医学賞は3人(E. ルイス、C. ニュスライン フォルハルト、E. ウィシャウス)で、そのうち一人は女性の遺伝学の教授で、生物における遺伝子解明の手技を確立されました。
本年のノーベル化学賞には日本から吉野 彰(よしのあきら)氏(旭化成名誉フェロー)が、グッドイナフ教授(米国)、ウィッティンガム栄誉教授(英国)と共に選ばれました。吉野氏は1976年ウィッティンガムが発明したリチウムイオン電池(当初は不安定で爆発しやすい危険があった)の実用化に成功(1986年)。色々な素材で何度も実験を繰り返し、コバルト酸リチウムを正極に用い、石油産業の副産物「石油コークス」を負極に使用することで、安定した、軽量、高容量、長寿命の、何百回充電可能なバッテリーを発明しました。
今年も12月10日、選ばれた方々はあの場所へ行き、その名誉ある感動の瞬間を迎えられることでしょう。私はノーベル賞なんて雲の上の話と思っていましたが、実際を目の当たりし、彼らの生の声を聞き、その輝かしい瞬間を共有できたことは一生の宝です。
令和元年12月
くぼ耳鼻咽喉科クリニック 久保武志
アルフレッド・バルンハート・ノーベルの遺言
署名者アルフレッド・バルンハート・ノーベルは、以下が私の死の時点において私によって遺言される財産に関する最後の遺言であることを、熟慮の上、ここに表明する。
(以下中略)
残りの換金可能な私の全財産は、以下の方法で処理されなくてはならない。
----私の遺言執行者によって安全な有価証券に投資された資本で持って基金を設立し、その利子は、毎年、その前年に人類のために最大の貢献をした人たちに、賞の形で分配されるものとする。この利子は、五等分され、以下のように配分される。----
一部は、物理学の分野で最も重要な発見または発明をした人物に、一部は、最も重要な化学上の発見または改良をなした人物に、一部は、生理学または医学の領域で最も重要な発見した人物に、一部は、文学の分野で理想主義的傾向の最も優れた作品を創作した人物に、そして一部は、国家間の有効、軍隊の廃止または、削減、及び平和会議の開催や推進のために最大もしくは最善の仕事をした人物に。物理学賞及び科学賞はスウェーデン科学アカデミーによって、生理・医学賞はストックホルムのカロリンスカ研究所によって、文学賞はストックホルムのアカデミーによって、そして平和賞は、ノルウェー国会が選出する五人の委員会によって、それぞれ授与されなくてはならない。賞を与えるに当たっては、候補者の国籍は一切考慮されてはならず、スカンジナビア人であろうとなかろうと、もっともふさわしい人物が受賞しなくてはならないというのが、私の特に明示する希望である。
私の遺言による処分の執行者として、私はここに、ラグナール・ソールマン氏とルドルフ・リエクヴィスト氏を指名する。
(以下中略)
この遺言状は、現在までの唯一有効のものであり、私の死後、万が一私の以前の遺言が存在したとしてもそれらの全てを無効にするものである。
最後に、私の死後、私の静脈が切開され、そして切開が終了し有能な医師が明らかな死の徴候を確認したときに、私の遺体はいわゆる火葬で葬られるというのが、私の特に明示する希望である。
- 1895年11月27日 於パリ
アルフレッド・バルンハート・ノーベル
矢野暢著「ノーベル賞」中公新書より一部引用